昔の人間と今の人間を同じ生物ととらえていいのか?

生物は進化していく。

環境に対応してその身体を徐々に変化させていき、今ある姿になっていった。 まったく姿を変えない種もあるらしい。ミミズなんかはかなり昔から今の姿のままであると聞いたことがある。たしかにミミズなんかはほとんど土の中にいて、今までそんなに気候的な変化に対応していく必要がなかったのかもしれない。

人間はそうした進化の観点からいくと、もう完成してしまっている種であると聞いたことがある。進化の頂点の位置してしまっていて、もう生物的に進化しえない存在であると。たしかにとーさんかーさんじーちゃんばーちゃん、さらにさかのぼってみれば歴史に出てくる人物なんかと自分で、文化文明的な差はあれど生物的な差は正直言って感じたことがない。実際会ったことないからわからないけど。(水泳のプロなんかは指の付け根に水かきが出来てる人がいるって聞いたことあるけどそれは進化のうちに入るのか?アスリートが一般人より筋肉ついてるよねとかいうのと同じレベルの話なのだろうか。)

人間がもう完成している云々の話が真実だとして、けどたぶん重要なのはこの「文化文明的な差」なのだと思う。たぶん人間が他の生物にくらべて特別なのは思考とか精神とか言語とかその類のものだと思うのだ。その面に関してはここ数百年数千年のあいだにずいぶん変化しているはずではないか。木の葉や石版で情報伝達していたのがいまやパソコンで遠く離れた人ともコミュニケーションがとれる。ここまで情報伝達の手段が異なるものが、同じ生物種であるととらえられるのだろうか?

そういった文化や文明の発達に伴う思想や精神の変化などもありえる。最近は情報が氾濫しているので、いかに自らで情報を作り出していくかではなく、いかにして自らに有用な情報を探し出すかという方向へと思考のはたらき方が変わっているように思う。インターネットが無い時代ではありえなかった思考のありかたなのではないだろうか。こうした思考の変化を技術の進化に伴う精神的な進化であると捉えるならば、もはや人間は着実に進化を続け、いつかの時代とは違った生物種(それこそ「Human」ではなく「iHuman」ではないだろうけど)としてこの世に存在していると考えることが出来そうな気がする。

「同じ人間なのだからみんなが平和を望めば戦争はなくなるはずだ」という意見は多いが、あまり共感できずにいたのはそのあたりなのかもしれない。文明や文化は地域によってあり方も発展の度合いも違うだろうから、それにともなう精神的な変化を考えると、違う文化圏にいる人同士はもはや種として同じ人間であるとは言えない。ならば相容れないのも当然であるとも考えられる。