『ハチミツとクローバー』を今更読んだ

一.

昔から「読んだことあるような無いような」という曖昧な感じだった『ハチミツとクローバー』原作を改めて一気に読んだ。全く内容覚えてなかったので多分読んだことなかったんだと思う。

仮にも大学の建築学科を卒業した身としては昔を思い出すような感覚で読めるかな、と思ったけど、舞台が美大だったこともあってか、自分とはわりと違う生活が繰り広げられていた。というか美大って建築とか彫刻とか陶芸とか油絵とか科が違っても交流あるもんなんですか?それすごい良いですよね。自分は工学部建築学科なので、周りは機械系やら情報系やら、まさに男祭りって感じで、しかも他の学科との関わりなんてほぼ無かった(というか24時間製図室にこもってるちょっと頭おかしい人扱いされてたような感じもする)。

 

二.

自分は羽海野チカ漫画が結構好き(の割にはハチクロは読んでなかったみたいだけど)で、その理由の一つが「フキダシの外の文字の多さ」なのかなと思っている。

 主にギャグシーンで、登場人物の小言であったり、作者からのツッコミであったり、メタな要素から何から何までごちゃまぜにしてコマの開いてる部分にぎっしり書かれるその言葉が、なんだか生き生きしてて読んでて楽しくなってくる。まあこういう部分が「同人誌っぽい」と揶揄される部分なのかもしれないけど。

 

三.

 恋愛漫画としては特にどうということはなく、ただただ「みんなめんどくさいヤツらだなあ」という感じだった。人は、そんな何年も情熱な片思いを続けられるのだろうか。というよりも、個人的にはこの漫画は「恋愛漫画」ではなく「竹本くんの成長物語」だったのではと思っている。最後、はぐちゃんは竹本くんを選ばずに「え、そこ!?」という相手を選んだわけだけど、おそらく最後のシーン、というか竹本くんの成長と巣立ち(?)を描くにあたって、はぐちゃんが横にいると邪魔だった。いろんな恋愛要素が描かれていたこの漫画だけど、それはあくまで竹本くんの成長物語のなかの一つの側面でしかなかったのではないかと。

 

四.

この漫画を読んで副次的な影響として、「ひとり暮らしに嫌気が差してきた」という問題がある。

大学生活から数えてひとり暮らしも8年半ほどになる。大学生、大学院生のころは大学に入り浸っていたので、友達が常に近くにいる生活だった。社会人になってから3年半、あまり友達の家に行くということも無くなってきて、人間関係もどこか仕事を抜きにして語りづらくなっていて、息苦しさと寂しさを感じていた。

そんなところでこの漫画を読んでしまって、パンチ食らったようにダメージを受けている。常に誰かが横にいて、みんな自分の持ってる何かに取り組んでいる。その中身は共有されないけど、その姿勢だけはみんな共有していて同じ思いでつながっている。社会人になった真山はずっと同じアパートに住み続けて、大学に出入りしながら後輩と交流を続けている。

まあ最終的にはみんなそれぞれ違うところに行ってしまうので、ある意味作者はその状況を堕落というか、あくまで成長過程の一時的なものと捉えているのかもしれないけど、いま会社でわりと消耗している自分からすると、とてもまぶしいものに見えてしまう。

 

五.

つーわけで誰か広い家借りて一緒に住みませんか。東京都心のどっかで。