二項対立タイプの適正検査にうんざりする

就職活動真っ最中である。
その中でよく「適性検査」と呼ばれる検査を受けることがある。
その中身はある言葉の対義語を答えろとか原価と定価と利益の計算とか、いわゆる一般常識テストというやつである。正直、どうみても自社で作ってるわけでもなさそうなそんな問題でなんの適性を測れるのかいささか疑問で、正直に「筆記試験」と言えばいいのにと思う(筆記試験と名前をつけてる会社もある)のだけれども、それよりも気になるのが性格検査というやつだ。

その名の通り性格診断みたいなもので、会社によって様々なタイプがある。
「せっかちである。はいorいいえ」みたいな一問一答形式のものもあれば、「どちらかといえばyes、no」みたいなちょっと融通を利かせるタイプのものもある。

そのなかで一番やりづらいのが、二項対立ものである。
ある2つの性情を二項対立的に据え置いて、自分がどちらに近いほうに属しているかを答えさせる問題なのだが、残念ながらそういった問題でその2つの性情が真に二項対立になっているのをあまり見たことがない。

たとえば、「伝統を大事にする」ということと「人と違うことをする」ということは、まったく矛盾しない。
伝統を大事にしないものに、人と違うことをするなんていうことはできやしない。伝統を重んじないということは、そもそも人が何をしているかを理解していないということだ。伝統を重んじた上で、そこに如何に自分なりの新しい要素を加えていくか、ということが「人と違うことをする」ということであると僕は思う。

他にも、「あきらめたらそこで終わりだ」ということと、「あきらめがよいほうである」ということもまた矛盾しない。僕は「あきらめたらそこで終わり」、つまり「あきらめない限り道が途絶えることはない」だなんて思ってはいないが、別にすぐあきらめてしまう癖をもっているわけでもない。あきらめたほうがよさそうだと判断すればあきらめる。ただそれだけのことである。

そうした、まったく意味のない二項対立的な性格診断になんの意味があるのだろうか。しかもそういうものに限って、数直線の両極にその性情を置くので、「別に両方当てはまるときはあるけどなあ」と思ってその数直線の真ん中あたりにチェックを入れると、ビジュアル的には「両方当てはまらない」ように見えて、えらく消極的なように評価されている気がしてしまう。
人間がそんな無矛盾的な存在であるとは思えない。自分の中で何か矛盾することがあるから悩んだり苦しんだりするのだろう。こういった検査はそれを理解していないように思える。

そして、こういう性格検査は例外なく問題数が半端なく多く、回答時間はさほど長くない。問題数の多さと回答時間の短さで、論理的な判断力を低下させ、素の内面を発見したいという意図なのだろう。しかしそれは結果から判断できるものなのだろうか?
一問一答形式の検査においても、問題数が多いため、設問がかぶっている場合がある。少し言葉を変えてはいるが似たような内容の質問。そういった問題が出てきた場合、ちょっと戸惑う。「さっきこんな感じの問題でなんと答えたっけ?もしさっきの答えと食い違ってたら嘘吐き野郎と判断されてしまうのか?」と少し思ってしまう。
その戸惑いこそに性格が出るのではなかろうかと思う。結果はきちんと整理されてしまう。問題を解くときの戸惑いや挙動といったものに素の内面があるのではないか。

つまり、パソコンでやる性格検査なんて何の意味もないだろうからちゃんと面接しなさいということです。
面接でちゃんと性格が分かるかどうかということはまた別の話。