『消極性デザイン宣言』を読んで思ったことや思い出したこと

『消極性デザイン宣言』という本を読んだ。

消極性デザイン宣言 ―消極的な人よ、声を上げよ。……いや、上げなくてよい。

消極性デザイン宣言 ―消極的な人よ、声を上げよ。……いや、上げなくてよい。

  • 作者: 栗原一貴,西田健志,濱崎雅弘,簗瀬洋平,渡邊恵太,小野ほりでい
  • 出版社/メーカー: ビー・エヌ・エヌ新社
  • 発売日: 2016/10/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 積極的であることが是とされる世の中で「人間、もっと消極的でいいんだよ」という立場から、消極的な人間にとって良いデザインについて様々な分野の専門家が論じている本。全部で5章あり、それぞれのテーマを勝手に要約すると、以下のような感じだと思う。

  1. 面と向かって「やめて」と言えないので、勝手にやめるように仕向ける
  2. 匿名性を利用して、人が集まるイベントを居心地良くする
  3. 他人同士で協力するのではなく、自分勝手に行われることでコラボレーションが活性化する
  4. 上達のために努力したくない人でも楽しめるゲームデザイン
  5. 何かを使うハードルを下げるインタラクションデザイン

「消極性デザイン」と統一した大テーマがあるものの、それぞれが取り扱う「消極性」には微妙に違いがある。1, 2, 3については主に対人関係における消極性、いわゆる「シャイ」とか「非ウェイ」としての消極性。4, 5は自分の行動における消極性、つまり「めんどくさい」的な消極性。さらに対人関係、自分の行動に関する消極性でも、それぞれ微妙な違いがある。

それぞれの章で別の事が書いてあるので、感想もそれぞれ個別に書くことにした。

 

「やめて」と言えない代わりに、勝手にやめさせる

お題としては「やめさせる」というテーマで書かれているけれど、やめさせるにかぎらず「直接言わずに、間接的に働きかけて自分の求める行動をとらせる」という即席アーキテクチャの話だと思う。「間接的」というのは「何か媒介を挟んで」と言い換えられる。この本ではPCのシステムなど、「自分のコントロール外のもの」が媒介にされていたけど、もう一つ方向性として「一般的に知られている関係性」を媒介にすることもできると思っている。

たとえばどこかで聞いた話だけど、レジ打ちをしているコンビニ店員は、たくさんの客が店内に入ってきたので奥で休憩している他の店員にサポートを求めるとき、「いらっしゃいませ」と大きな声で言ったりするらしい。ふつうに「お客さん来たんでレジお願いします」と声を出しても伝わるのだけど、その場合、入ってきた客は「あ、おれが入ってるから奥にいる人を引っ張り出さなくちゃいけなくなったんだ」と、何も悪いことをしていないのに少し気まずい感じになってしまう。それが「いらっしゃいませ」となった場合、客が来る→店員が「いらっしゃいませ」と声を出す」という関係性は誰でも知っているため、特に客自身に触れることなく他の店員に「客が来た→サポートお願い」ということを伝えることができる。

話が逸れるけど、ふだんコンビニで買い物するとき電子マネー(iD)を使ってるのだけど、店によってはかなり大きい音で「タントン」音が鳴るので、100円の買い物とかでそんな大きな音出されてもちょっと恥ずかしい、、という気分になる。安い買い物のときはタントン音を小さくするとかできないだろうか。

 

匿名性を利用して、人が集まるイベントを居心地良くする

僕自身、人が多いところはあまり得意ではないので、ここに書かれていることはよくわかる。注目されたくない、というか、自分の意図と違うところで注目されたくないというか。

匿名での意見表明システムとして傘連判状があるけど、今の世の中「誰からの賛同を得たか」というのが重要な要素だったりするので、場所は選びそうな感じ。さらに「消極的な人をノらせるためのシステムだ」と気づいた段階でやる気をなくしてしまう人もいるかもしれないし、難しそうだ。

どうでもいいけど、盛り上がりを強要されるイベントが企画されたりするのは、結局のところそのイベントがあんまり面白くない、というだけだったりする。結局一部の人が盛り上がる内輪ノリだったりすることも珍しくない。

前にイベントで使った「カタルタ」というのは、初対面の人達で自己紹介するときに使える良いアイテムだった。トランプに「もし」とか「たとえば」とか「偶然にも」といったつなぎ言葉が書いてあって、集まった人はそれをめくりながら、そこに書いてある言葉に従って自己紹介していく。これがすごく盛り上がる。聞く方も楽しいし、話す方も、つなぎ言葉が自動で用意されることで、次に話す内容が自然と浮かび上がってくるのである。この本に書いてある内容とはちょっと逸れるかもしれないけど、自分で積極的に自己紹介ができない人にとってはとても良いアイテムだと思う。

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カタルタ PLAYING STORY CARDS


他人同士で協力するのではなく、自分勝手に行われることでコラボレーションが活性化する

「改変」ではなく「拡張」としてのN次創作という概念はハッとした気分になった。たしかに、個々人が自分の土俵である作品を「拡張」していく。これも1と近くて、直接的なコミュニケーションではなく、「歌ってみた」「PV作ってみた」というような「成果物」を媒介にすることで成立するコミュニケーションなのだと思う。アンサーソングみたいな。初音ミクみたいなキャラクターがその拡張を促進する役目を担ってたんじゃないかな、と思う。これを「消極性」とするのかどうかは微妙なところだけど。

「やってみた」という、クオリティを担保しない的な表現は「クソゲーつくった」という言葉にも当てはまりそう。わざわざ「クソゲー」を楽しむ人もいるらしいし。


上達のために努力したくない人でも楽しめるゲームデザイン

この章の前半においては「消極性」という言葉はもはやこじつけというか後付けみたいな感じになっていて、「ゲームシステムによって人の上達感を操作させたりしてゲームを楽しませる」という研究にムリヤリ「消極性」というラベルを貼っている印象を受ける。けどそれはこの章の中身が面白くないというわけではなくて、めちゃくちゃおもしろい。

「上達感」「操作感」は結果に左右される、というのは思うところもある。最近もっぱらスプラトゥーンやってるけど、試合中がどうであれキルレ(成績)が良いと「上達したなあ~」とやっぱり思ってしまう。それが上達を阻害している感も無くはないけど。

後半の「現実の中でルールをつくって全員が満足できるようにする」という現実ハック、無意識に自分たちもやっていたことがあった。カラオケである。カラオケってどうしても「他の人も知ってる曲」を歌わないと微妙に場が白けてしまう感があって、結局「いちばん歌いたいわけじゃないけどみんなが知ってそうな歌」を歌ってしまうことがよくあると思う。そこで、はじめから「今回は他の人が知ってようと知ってまいと、自分の歌いたい曲だけを歌おう」というルールを決めて、その前提で集まった人たちでカラオケに行ったことがあって、その時はすごく楽しかった。同じ部屋にいるけどみんな別々というか、「ヒトカラ×人数分」みたいな感じだった。ただみんな他の人の歌はあんまり聴いてなかった感もある。

そこで、エスカレートしてさらに別のルールをつけたこともある。「今回は自分だけが知っている歌を歌おう」というルールである。他の人に一緒に歌われたらその場で演奏中止という徹底ぶりだったのだけど、その結果、「あれ?オレこの歌知ってるかも。。?」という感じでみんなが他の人の歌を聴くようになったのだ。特に、「みんなが知っている歌手の、超マイナーな曲」とか歌うとその傾向は顕著だった。たまには極端なルールを設けてみることで、満足以上の興奮を全員で共有できるのかもしれない。


何かを使うハードルを下げるインタラクションデザイン

基本的に人はめんどくさがりなので、何か行動を「しはじめる」ハードルがとても高い。そのためそのハードルを可能な限り下げるために「使おうとしやすさ」をデザインによって高めていこう、という話。

前に読んだ本でNoUIの概念が紹介されていたこともあって、もはや「使っている」と思わせないほどにスムーズに接続された行為のデザインがこれからは重要になる、と感じている。

ただ上手く行けばすごくいいけど、中途半端にアシストしてしまうとそれはそれで混乱を招いてしまう。たとえば自分はiPhone7を使っているのだけど、iPhone7ではデフォルトで「手前に傾けてスリープ解除」という機能がオンになっている。その名の通り、iPhoneを使おうと思って手前に立てたときに自動でスリープが解除される機能だ。使い始めをスムーズにするべくApple Watch的なノリで着けられた機能だと思うのだけど、特に使うつもりがなくて持ち上げただけのときにスリープが解除されてちょっと煩わしかったり、そもそも自分が操作しているわけではないのにスリープが解除されることがなんとなく気持ち悪かったりで、結局オフにしてしまった。「自分で操作している感」というのは大事だと思う。

他にも2,3年ほど前にGoogle検索のタブ位置がキーワードによって変動する挙動になって、困惑する人が続出することがあった。

「いついかなる時も同じことがしたいときは同じ操作をすればよい」というのは気に留める必要がありそう。前に書いたMacとWindowsの半角/全角切り替えも同じような感じだと思う。


 まとめ

全体通して、「間接的なコミュニケーション」について語られている本だと思った。自己主張したいのだけど裸一貫で突撃できない、なので何か別のものを通して自分の意見を表明したり、自己アピールをしたりする。その「別のもの」をうまく設計することが、これからのデザインで重要になるような気がする。