見つけ難い小さな空白

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右の画像はある本の1ページですが、このページを一見して、どういった流れで文章を読んでいくように思うでしょうか。
(ジェーン・フルトン・スーリ+IDEO著 森博嗣訳 『考えなしの行動?』 太田出版 2009 p.172)

一瞬、読み方に迷う

いおそらく、一瞬見ただけでは以下の2通りの流れのどちらかに捉えられるのではないでしょうか。

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掲載されている文章の内容から考えると、正しいのは右側の流れです。しかし、僕はこの本を読んでいるときに自然と左側の流れで読もうとしてしまい、文章の不連続さに面食らってしまいました。確かにページ全体を見渡すと、右列文章中央に広い行間があり、そこから考えると右側の流れで読むのが自然ではあります。ですがその時の僕はそんなところには気が付かず、間違った順序で本を読もうとしてしまいました。

ところで、(小説等のテキスト中心の)本を読んでいてページをめくったとき、人は次のページ全体を見渡すのでしょうか。思い返してみると、僕自身はそんなことはありません。ページをめくったらそのページの一番左上(縦書なら右上)を注視し、文章を読み進めます。つまり、ページ全体を見渡さなければ把握できない文章の配置は好ましくないということです。横書きの文章が2段組になっていれば、当然左列から読み始めるでしょうし、それが一番下まで読み終わらないうちに突然右列に移動するなんて思いもよりません。(言い訳っぽく聞こえますが)

反例

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しかしこの画像ならどうでしょうか。同じ本の別のページです。(上掲書 p.174)

こちらも先に挙げたページと似たような構造になっていますが、こちらは自然と正しい順序で文章を読み進めることができます。それはきっと「先に一度順序を間違えたから」という理由ではないと思います。見出しが右列の行間まで乗り出すことで、右列のスペースに「この節がここで終了する」という意味が付与されていることが明らかになっているのです。

文章を読んでいて、まるまる1ページが空白になっていたとしたら、きっと人はそこに何かしらに意味(表現上の演出であったり、章の切れ目であったり、あるいは落丁であったり)を見出すことができます。しかしわずかな空白(今回であれば、他の行間よりも少し広い程度の行間)は見過ごされてしまいかねません。今回、2つめのページでは見出しという別の要素によって、わずかな空白に付与されている意味が顕在化されているのではないでしょうか。

まとめ

わずかな空白に意味を見出すことは非常に難しいです。難しいですが、その意味を見落とすことで、重大なコミュニケーションエラーが発生することもありえます。そうならないためにはどうしたらよいか、常に考える必要があると感じました。