部屋探しと大人のこだわり

5月に引越しして男三人ひとつ屋根の下生活を送っていたのだけど、半年ほど経って再度引越しをすることになってしまいました。特に望んで引っ越すわけではなく、「大家の事情で家を取り壊すことになったから」というどうしようもない理由です。

 

 

それで部屋探しをすることになったのだけど、よく考えたら社会人になってからまともに住む家を探すのは初めてだなと思いまして。上京して住む家を探してたときは学生だったし、そこから今の家に引っ越すときは知り合いが抜けたシェアハウスに入る形だったので家探しはしていません。つまり、大人になってから初めて「自分の住む家を選定する」という行為をしている状況です。

 

大人になるとどうなるかというと、ひとつには選択肢が異常に広がります。就職して4年半ほど経つので新卒時点に比べると収入は上がっているので、選べる家の範囲が広がります。やっぱり自由に使えるお金が多いというのは良いものです。まあ所詮20代一般会社員の範疇なのでたいした自由度ではないですが。

 

大人になるともうひとつ、人生に対する「こだわり」みたいなものの自己主張が強くなってくる。もう僕も30歳が近いので、そろそろ人生の「準備期間」みたいなものが終わりつつあるような気がしていて、何かとベストな生活を送るための選択をしたくなってきます(ここでいうベストというのは物的、精神的な側面があると思う)。金銭的な制約が小さくなってその「こだわり」を追いやすくなったというのもありますが、どちらかというとそれなりに年を取ってそれなりにお金に余裕が出てきて「自分のこだわりを追わなくていいのか?」という圧が自分の内側から湧いてくる感じ。同じく家を出ないといけない同居人がそれなりの家賃の家に申し込んだと聞き、さらにその圧は高まってきます。

この「こだわり」ってのはやっかいなやつで、満たされていないときは大きなストレスを与えてくる割に、満たされているときは自らの存在を消してきます。例えばいま、この文章はHHKBを叩いて書いていて、自分的にはそれなりにこだわりを持ってキーボードを選んだつもりなんだけど、普段叩いているときには別に充足感を持っているわけではありません。だけどまたペラッペラのキーボードを叩くと途端に不満を持ってしまうのは容易に想像できます。

 

たぶん家も同様で、間取り図を見るなり内見をするなりしながら『自分はここで「こだわり」のある生活を送ることができるだろうか』と想像をします。けどきっと「こだわりのある生活」はきっとすぐにその存在を消して、当たり前のものになる。なのでどちらかというと『自分はここで暮らして「こだわり」が満たされない生活を送ることになりやしないだろうか』という観点で品定めをするようになってしまう。ポジティブなのかネガティブなのかよくわからない気持ちで今後数年間住む家を探さなければならないのです。さらに言うと収入増加分もたかが知れているのでやっぱりお金とのバランスをとらなければならない。

 

そういうのを考えるとめんどくさくなってこの土日で勢いで申し込みをキメてきましたが、よく考えたらいまの家賃の1.5倍以上だな、けどそれはいまの家賃が安すぎたんだなと信じ込んで、「こだわり」のある新しい生活を送ることにします。

 

何がいいたいかというと結局お金欲しいね、ということです。